小学生はうんこでしか笑えない
どうも、今日は教養と笑いについての話です。
皆さんにも経験があると思いますが、幼い頃は「うんこ」というワードだけで腹を抱えて笑いませんでしたか?
ですが、大人になった今は「うんこ」というワードで笑う方はあまりいないはずです。というか、あまりいない事を願います。
では、なぜ私たちは「うんこ」で笑わなくなってしまったのでしょうか。
実はそこに「教養」が関係しています。
ここで昔話を一つ。
私が高校生の頃、陥没乳首の事をカルデラと呼んで笑いあっていたのを覚えています。
カルデラというのは火山にある凹みの事を言いますが、
それと陥没している乳首を重ねてネタにしていた訳ですね。
正直くだらないと思います。はい。
しかしこのネタで笑えるのも、カルデラを理科の授業で学んだからこそ笑えるわけです。
つまり、カルデラを知らない人からしたら陥没乳首を指差して「カルデラ、カルデラ」と笑顔で言っている私は、かなり頭のおかしい人に思えるはずです。
もはや、笑いではなく恐怖ですね。
これを踏まえて考えると、うんこで笑う子供達はまだ「笑い」を「教養」と結びつけることが出来ていないという事です。
リズムネタが子供達に受けるのもそのせいですね。子供達は頭で理解する笑いより、感覚で感じられる笑いしかまだ理解できないのではないでしょうか。
だからこそ、言葉の響きやインパクトの強いものがとても面白く感じるのかもしれません。
歳を重ねて教養を増していくごとに、笑いの幅というのが増えていくと思うと、教養というのも捨てたもんじゃないなと思えますね。
ちなみに、私は蟻の門渡りで笑います。
それでは、また。